トリュフォーアメリカの夜
トリュフォー自身が監督役として出演し、あるひとつの映画をつくりあげていく過程を映画におさめる、という入れ子構造になっている。が、たんなるメイキング映像の拡大版といったものではなく、映画とそれにかかわる者たちの人生物語とが交叉し、そのさまが止揚され、けっきょくはひとつの映画というフォルムのうちに収斂していく、というより複雑な構造をこの映画じたいがえがきだしている。
この「シナリオ」は予定調和的なものではなく、撮影がすすむなかで出あわれる偶然的な要素が、それまでは沈殿化していた映画をささえる意味世界を賦活し再構造化することによって新たな「シナリオ」を生み出していく、という辛苦にみちた表現の過程そのものを体現している。もちろん、このような表現の過程はどの完成された作品にもあることであろうが、この一作は、表現における偶然的なものの出来と物語の再構造化の弁証法をわれわれに顕在化させてくれる。
むかしは、ゴダールは映画を壊しトリュフォーは映画を壊せない、となんとなく考えていたが、そう単純なものではない、といまさらながらおもった。
映画に愛をこめて アメリカの夜 特別版 [DVD]

今日の一曲:Number One Fan, Nothing Will Change in Compromises
Compromises