ジャニコー、前掲書、第二章
第二章以降、レヴィナス、マリオン、アンリについてそれぞれ一章ずつ割きながら現代フランス現象学の「神学的転回」について吟味する。手始めにレヴィナスが生贄にされ、『全体性と無限』、なかでも後半部で展開される「エロスの現象学」がめった切りに。そりゃあ真っ当な現象学者からすればレヴィナスは完全な逸脱者かもしれないが、なかば憎しみすら感じさせるような文体で完膚なきまでにたたきのめさなくても…とおもう。
ヘミングウェイわれらの時代・男だけの世界――ヘミングウェイ全短編(1)』所収の短編をいくつか
なかでも「インディアン・キャンプ」。医者の父に連れられて、まだ子どもの主人公ニックがインディアンの女性の出産場面に立ちあう、というお話。だが、クライマックスは新たな生命の誕生にあるのではなく、出産というある意味では神秘的な場面がうみだすそこはかとない恐怖に耐えきれなかった女性の夫が喉をかっ切って自殺をしていることを、産後に息子が目撃してしまう場面にある。生命の誕生と同時にその生命が朽ち果てていくさまを子どもというフィルターをとおして読者に垣間見させることで描き出されるのは、通常は「力強さ」や「みずみずしさ」といった言葉で彩られている生命のむき出しの裸形性であるが、それを簡潔な叙述によってわずかなページのなかで物語るという手法はなかなかのもの。お話の最後で、生と死という衝撃的な出来事を体験した主人公に「ぼくは絶対に死なないさ」と何とも無邪気に、そしていささか滑稽に決意させるという演出もまた心にくい。
ミカ・カウリマスキGO!GO!L.A.
ヴィンセント・ギャロを久しぶりにみたいとおもい、レンタルしたもの。映画としてはまったくおもしろくなかったが、ギャロは渋かった。それだけ。補足トリビアとしては、監督ミカ・カウリマスキはアキ・カウリマスキの実兄。アキ・カウリマスキの『白夜のラスコリーニコフ』は、誰も映画化に挑戦してこなかった『罪と罰』にもとづく勇気ある一作ではあるけれども、原作の迫力にはとうてい及ばず。
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今日の一曲:Dashboard Confessional, As Lovers Go in A Mark,a Mission,a Brand,a Scar
Mark a Mission a Brand a Scar