D・H・ロレンスアメリカ古典文学研究
「「人間の完成可能性」。ああ、いやはや、なんという退屈なテーマだ。フォード製自動車の完成可能性。いったいどこのどいつの完成可能性だ。わたしのなかには何人もの人間が宿っている。いったいそのうちのどれを完成してくれるつもりなんだ。わたしは機械仕掛けではない。……理想的な自己だと。ところがあいにくだが、理想的な窓の下で、狼かコヨーテさながら、締め出されて吼えたてる異様な逃げ腰の自己がわたしにはあるんだ。闇に輝く彼の赤い目が見えるかい。これこそ成熟をどげようとしている自己なのだ。」
Jean Wahlつながりでロレンスにおける超越の問題に興味をもち、少し勉強してみようとおもって開いた一書。ロレンスといえば、いろいろと物議をかもした『チャタレイ夫人の恋人』で知られるが、それを昔一読したときには、不倫関係にある男女の肉体的交わりについての描写ばかりに目を奪われて、えらく俗っぽい小説を書くものだ、などと考えていたのだが、いやはや、早計だった。上の文は、ロレンスの大嫌いなベンジャミン・フランクリンについて論じた第二章冒頭の一節。『ライ麦畑』をバイブルとしていた高校時代の若かりし情熱を思いだしつつ、激しく同意。